ぐっど アフタヌーン(=^^=)今日も秋晴れ ドームハウスでゆるりと過ごしております。
ずっとひっかかってた言葉があります。それは10/17に東温市の安国寺で開かれた琵琶の演奏会のあいさ
つでご住職が「この屏風にかかれた文字は『有無一如』と読みます。有るも無いもいっしょということで
す。」と言われたことです。どういうことか?と考えていました。最近、我が家のやまねこ文庫の中の
佐々木現順薯「業と運命」という本を読んでおりました。この本のあるところに目がとまりました。
「仏教で実在性(有)というのは、固定的に常にそこに在るという不変常住の個体を言うのではない。
一切の物はーたとえ、無といわれるものでもーそれぞれの『在り方』においてあるというのが実在性の定
義である。肯定的に存在というのは言うに及ばず、否定的に非存在といわれるものもそれは非存在(無)
という『在り方』で在るものであり、そういう『在り方を持てるもの』(法)として認識され、また、知
覚される実在性である。色とは形あるものであり、形あるものとは『在り方を持つもの』の謂れである。
更に、在り方に於いてあるということは、自らのはたらきを持っているということである。実在とは単に
そこに『止まって在る』ことではなく、『在りつつあるもの』である。「実在」の原語satはasの現在分
詞形であり、『在りつつある』ものであり、動いている存在である。動いているもの把えることは出来な
い。把えることが出来ないものはー時間の概念によればー刹那である。」という文章です。
般若心経の「色即是空 空即是色」、「万物流転の原理」、八百万の神を信仰する日本人の霊性にもつな
がる感がしました。