どっとイブニング!(^^)! お四国遍路旅 PART2でおます。
初日は、71番札所の弥谷寺で打ち止め。宿泊先の金比羅温泉八千代という旅館へ向かいました。
昭和レトロで修学旅行で泊まりそうなこの旅館、なんと15代目の女将さんになるそうです。
金比羅さんがすぐ目の前ということもあり、初対面のお遍路仲間4人で金比羅山の785段の階段に
挑みました。夕刻で涼しくなっていたこともあり、1人の脱落者もなく、無事金比羅宮に到着しました。
日中、32度という暑さの中、6カ寺参りした後なので、なかなか堪えましたが、一緒に登ってくれる
仲間がいてくれたからこそできたこと。今回の遍路旅では、お遍路仲間が一挙に増えました。
2日目は、終日雨に降られ、これまた大変でした。
66番札所の「雲辺寺」では気温が22度でした。雲辺寺は「遍路ころがし」と呼ばれた難所ですが、
今はロープウェーができていて簡単に山頂までいくことができます。霊場は香川県ですが、住所は
徳島県、ロープウェイで登る途中に県境があります。山頂につくと、まあ、なんとりっぱなお寺という
のが印象です。「四国高野」といわれ仏舎利が納められているそうです。
500羅漢像と涅槃釈迦如来像があり、お釈迦様の前で、みんなで般若心経を唱えました。
88番から逆打ちでまわってきて初めてお釈迦様に出会いました。
これで涅槃の道場と言われている香川は終了です。次は菩提の道場愛媛県です。
65番札所「三角寺」。この三角という名前に私、個人的にご縁を感じておりました。
我が家の住所地名は「三角」です。また、我が家は五角形と六角形を形つくる「三角形」の集合体
でできたドームハウスです。すなわち、「三角形」の集合体に住んでいるのです。
この寺は815年、弘法大師が訪れ、本尊の十一面観音像を彫像して安置されさらに、
不動明王像も彫られ三角の護摩壇を築いて21日間、国の安泰と万民の福祉を祈念して
「降伏護摩の秘法(調伏法)」を修法されたといい、この護摩壇の跡が庫裏と薬師堂の間にある
「三角の池」の中の島に現存し寺の名前の由来になっているそうです。
また、「降伏護摩の秘法」は、本尊の五大明王を南方に、三角形の炉にて、悪魔・外道・怨敵など
を鎮めるために行う修法(調伏法)で八八か所中この寺だけといわれているそうです。
この「降伏護摩の秘法(調伏法)」と織田信長に関して書かれているものを紹介します。
やまねこの朋友でチベット密教ラマである林久義氏著書「オウム信者脱会カウンセリング」
から一部引用させていただきました。
「織田信長に憑依した欲界第六天魔王」
日本において世界を支配し、王になることを試みた歴史上の人物として、織田信長が挙げられる。
織田信長は、旧体制である天皇制をも否定し、自分が天皇に変わって日本の支配者、王になろうとした。
そして、この織田信長には、天界の中の欲界、第六欲天の最高位の他化自在天、ヒンズー教のシヴァ神、
第六天魔王の霊が憑いたと言われている。天魔波旬とも言われるこの天魔とは、衆生が持つ食欲、
睡眠欲、色欲(性欲)、名誉欲など煩悩から生じる様々な欲があるが、中でも世界をコントロール
したいという「支配欲」がこの欲界の中でも最上位の第六欲天に住し、天魔といわれる霊体なのである。
その天魔の霊体が織田信長に憑依し武力をもって世界を支配しようと、多くの大量虐殺が行われた
という霊的視点から見ることができる。また、信長自身が第六天魔王と自らを名乗ったとも言われてい
る。中でも比叡山の徹底的な焼き討ちによって仏教弾圧を行ったことは仏教勢力の一大恐怖となり
次の標的とみられていた高野山の僧侶たちが震え上がった。高野山は敵対する信長を討つため、
数か月に渡って「調伏護摩」を行ったと伝えられている。そして最後に、調伏護摩壇の炎の中から
信長の生首が三つ現れた。本能寺で信長が明智光秀によって討たれたことが、調伏護摩祈祷の
「霊験」であると、高野山では伝えられている。この調伏護摩祈祷は「五大尊五大壇護摩」であった。
「調伏護摩」とは、三角の護摩壇を用いて仏敵を退散させることである。弘法大師は調伏護摩祈祷を
禁じたとされているが、高野山は信長による弾圧の存亡の危機を調伏護摩によって回避した。
仏教は「阿弥陀如来」や「地蔵菩薩」のように慈悲や救済の如来や菩薩様だけではなく「不動明王」
に代表されるような魔を打ち砕く憤怒尊もいらっしゃる。「魔がさす」とよくいいますが、
知らぬ間に忍び寄ってくるものかもしれません。気をつけねば・・・・。
今回は本当にヘロヘロになって帰ってきました。眠ること12時間。札所の霊的パワーはすごいです!