「庭に植えたナンテンの苗(難を転ずる)」
観音様をお預かりして頭をよぎりました。
やまねこ「わいは、神様の下働きや」
それじゃ私は?
「わいの下働きやから、神様の下働きの下働きになる」という会話。
当たり前のように神仏という言葉が日常生活に登場していた我が家では、そうなんだと思うくらいで
特別変と思うことはありませんでした。しかし、他人が聞くと「なんだこの夫婦は?」と
変に思うでしょう?
なぜやまねこが自分のことを神様の下働きと言っていたか?
出家とは「神仏に仕えること」
在家とは「人に仕えること」
と書いている文章を見つけました。
やまねこは18歳のときに出家得度をしております。寺を持っていないけど、その道をただひたすら
歩いていたのだなーとそれが「神様の下働き」という言葉ででてたんだな~と今ようやくわかりました。
出家の道を歩くとは、俗世を離れてただひたすら修行に励むなんてことはありません。
やまねこ流では「よく食べ、よく飲み、よく学び、よく遊び、よく仕事をし、よく人の世話をし、
よく笑い、よく怒り、明るく朗らか、早寝早起き」こんなところでしょうか。
いわいる天真爛漫な健康優良児です。
誰でも人生山あり谷あり、やまねこも例にもれず、若い頃は失敗もし、谷底まで落っこちて、臨死体験、
こちらの世界に戻って新たな人生と、振幅は激しくはありましたが、人の歩く道として、
そう外れたものではありません。
30年来のつきあいのある友人のポランさんは「やまねこ君は、若いころからいつも周りに人が集まって
きてたな。にぎやかにワイワイやるのが好きなんだ。哲学・思想・芸術・文学・宗教・歴史etc
どこを切り取っても話が湧いて出てくる。
自分の家計の計算はできないのに、国際金融論も詳しくてよく勉強しとった。
シュタイナーやフラーの勉強会も県外まで出向いてたね。
若い頃、いろいろ一緒にやったけど楽しかったよ。
ドームハウスという自分の夢も実現したし・・。クオリティ・オブ・ライフというのを
いつも言ってたね。人生どう生きるかを大事にしてた。お人よしで、おせっかい、人にも騙され、
稼ぐのもヘタ、いわゆる世渡りベタだけど、生き上手だな。」
やまねこ「母ちゃん、これから金持ちになるぞ!」
母ちゃん「あんたに金儲けなんてできるかいな!へそで茶沸かすようなこと言わんといて!」と
一蹴りされてました。
母のお墨付きがくるぐらい世渡りベタです。
金も地位もないけど、仲間はいるし、夢も実現、家族も協力体制万全、敵は無しとくれば、生き上手
といえるでしょう。
姉の1人はやまねこのことを「密教行者」別の姉は「哲学者」と言います。
見方を変えればばそうとも言える。
しかし、やまねこ本人「わいは赤ちゃんなんやから・・・」とよく言ってました。
それが「神様の下働き」というのもなんだかうなずける気がします。
へんに分別智を働かすことなく、子供心を持ち続ける。それが、生き上手につながってくるのでしょうが
簡単なようでなかなか難しい。「神様の下働きの下働き」の私は、まだまだ、道半ばです。