はい、どっとこ・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ万年堂でございます。 先日、今治市伯方島でYさんと神秘学を巡って話し合っていました。 シニア・ライフを意識し始めて「セルフ・フィットネス」というのが大切なんだと 思っています。 それは「自分らしさのトレーニング」とでも言えるかもしれません。 大義名分や常識よりも自分の感性や直観を大切にするということです。 少し自分勝手かもしれませんが、「自分に向かい合う」のを第一義的なテーマにしようと 思うのです。 これはオカルティストのワークでもあります。 村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくる羊男になろうと思うのです。 「僕は本当にここにふくまれているんだね。」 「もちろんだよ。あんたもここにふくまれている。おいらもここにふくまれている。 みんなここにふくまれている。そしてここはあんたの世界なんだ。」と羊男は言った。 そして、指を一本上にあげた。巨大な指が壁に浮かび上がった。 「君はここで何をしているの。そして君は何なんだろう。」 「おいらは羊男だよ。」と彼はしゃがれた声で笑った。 「ご覧のとおりさ。羊の毛皮をかぶって、人には見えない世界で生きている。 追われて森に入った。ずっと昔のことだけどね。その前おいらが何だったかもう思い出せない。 ここでのおいらの役目は繋げることだよ。ほら、配電盤みたいにね。いろんなものを繋げる んだよ。ここは結び目なんだ。あんたが求め、手に入れたものを、おいらが繋げるんだ。 分かるかい?」 村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』の一節です。 今回のカルマ論をめぐる語らいは「いかにしてチェンジするか」ということ。 Yさんによれば、カルマの仕組みが理解できれば現実をチェンジできるのだといいます。 現実と現実をつなげる配電盤に関わるということでしょうか? Yさんはそれを「ダビデの鍵」と言っていました。 『聖書』:ダビデの鍵とは、イザヤ書にあります。 イザヤ書二十二章二十二節 「私はまた、ダビデの家の鍵を彼の肩に置く。彼が開くと、閉じる者はなく、 彼が閉じると、開く者はない」 とあります。これはおそらく、神の国へいたる扉の鍵ということでしょう。 キリストはダビデの鍵を受け継ぐものということかな。 カルマ論的には「彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない」というところに 力点があって、私たちの日常を変化させる鍵ということだと思います。 多くの自己啓発本が「あなたの人生を変える成功の鍵」を説いています。 しかし、山ほど成功自己啓発本を読んでも「わたしがわたしにタッチ」しなければ何も変化は 起きません。 タビデの鍵とは、私が私の人生にコミットするという姿勢の中にあるということなのでしょう。 わたしがとの扉を開くと誰も閉じることができず、私が閉じると誰もそれを開くことはできない という「鍵」とは? ダビデの鍵をめぐる謎とは「私の人生に関わる鍵を探す」という古くて新しい変化への渇望 が、青い海の水底から引きあげた「なにか光るもの」なのかもしれません。
↧
自分をチェンジする鍵
↧