『ラヴ・トレイン』井上陽水
はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でございます。 砥部町の風流人のSさんと語らっていました。 彼は、ご先祖様が500年前から砥部町に在住するという地元密着型の人なのですが、 意識の逸脱感と風流人としての気風が奇妙に共存する陰翳礼讃のアーティストです。 素朴にしてアヴァンギャルドな感性は、砥部町の地元の生活人に通じるというわけでも なく、かといって500年の血脈からも地元から排除されるでもなく、中空の竹のように 清冽な生活感の中でゆるやかに「田舎暮らし」を楽しんでいるという風情です。 孤独にして、質朴なライフ・スタイルは、やまねこに様々な示唆を与えてくれます。 今日は、家内が干した「梅干し」を届けて、Sさんの徒然草のモノガタリに耳を傾け ていました。庭は丁寧に手入れされ、土壁の間を風が吹き抜けてゆきます。 彼なりの「悩みの種」にまつわるお話なのですが、その人となりの風情を感じさせる 物語は、ある種の新鮮さをやまねこに与えます。 「わたしはこのことで悩んでいる」というその事柄自体が、森の木霊の語らいのように 聴こえるのです。 それは、わたしたちが忘れかけている神話的感性からくるのかもしれません。 彼が手ずから完成したというドクダミ茶を、近隣の砥部焼アーティストの金の装飾の入った タンブラーで飲みながら、モノガタリに聴きいります。 その語り口は、密やかで、ささやかで、夏の影絵の風景のようにも思われます。 「神はディテール(細部)に宿り給う」とは、「無知の知」のニコラウス・クザーヌスの言葉 です。ミニマル・アーティストは、こんな場所にもいるのかなと思うやまねこでありました。