はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ亭でございます。 雨音を聞きながら、トランス・パーソナル心理学とマトリックス理論について考えていました。 というのは、昨年亡くなった吉福伸逸さんは、死の直前までこのマトリックス論を重視して いたということらしいのです。 生前のインタビューでこんな風に語ってます。 「ぼくが言ってる成長発達進化っていうのは大人になるまでのことを言ってるんじゃぜんぜんないんだよ。人間が死ぬまでの間、ずーっと成長発達進化してると、成長発達してると思うから、そのすべてにあてはめてるんだよね。だから一般的にいうと心の成長、みたいなことにも全部あてはめて語ってきてて、とくに、一般にもう成人してこれ以上物理的には体は縮んでいくだけで大きくはなっていかないような状態に達した後も、そのマトリックスと呼ばれるものは存在しなくなるわけじゃなくて。そのマトリックスとどういう姿勢で交わるか、によって、その人の知的能力であるとかね、その人の存在の能力、のもっている根源的なポテンシャルのようなものに力があるのかないのかっていうことが大きくかわってくる、ことがあるので、で、そのマトリックスの話をぼくは(不明:)してるんだよ。だからマトリックスというのはこどもが必要としてるものではなくて、大人になっても、死ぬ間際にも必要なものなんだ、とぼくは言ってるんだよ。我々にとっては。で、そのマトリックスとしっかりとした絆、bonding、bondingをすることによって、はじめて我々のもっている様々な可能性のようなものが開花していく。と考えるんだよねぼくは。 単純に言うと、こどものころには母とか父のようなものがマトリックスとして機能していくんだけど、大の大人になって、自分でしっかりとこの地球上に立てるようになってくると、よりはるかに抽象的な概念のようなものが、しっかりとしたマトリックスとして機能するようになることもある。で、そういうふうに機能してマトリックスといい関係を結べていくと、その人がもってる能力、ちから、可能性、といったようなものがしっかりと発揮されていく可能性が高い。っていうことだよね。 それがあるので、そのマトリックスという概念で、個人の成長を見、社会をあるいは人類全体の成長発達を見る、という作業をぼくはしてると思う。わかるかな?」(「吉福伸逸インタビュー」より) 個人の成長の方向は、人類全体の成長発達の方向と無関係ではない、ということなのでしょう。 現代は、すべての意味で「危機の時代」と言われています。 国際政治経済、民族問題、環境問題、戦争、難民、食糧・医療・人口などなどすべてが「危機」 にあるということはひとえに「人間の意識が危機に陥っている」ということです。 吉福さんの言葉に倣えば次なるマトリックスへの成長をとげられないで人間が壁にぶつかっている。 それは同時に個人レベルの意識の問題でもあるということ。 神秘学では第八領界といわれる問題が「意識の危機」なのではないかなと最近、思っているのです。 「マトリックスというのはこどもが必要としてるものではなくて、大人になっても、死ぬ間際にも必要なものなんだ、とぼくは言ってるんだよ。我々にとっては。で、そのマトリックスとしっかりとした絆、bonding、bondingをすることによって、はじめて我々のもっている様々な可能性のようなものが開花していく。と考えるんだよね。」 というのは、至言だと思います。人は死ぬまで成長してゆける存在なのです。 わたしたちの「行きづまりのあり方」は、実は様々な文化的ファクターや個人の生育環境などから 次なるマトリックスへ成長ではないためなのではないか? 宗教的なテーマや哲学的テーマかもしれませんが、やまねこは「本来人間の自然な成長」として あり得るものだと思うのです。 老いの問題一つとっても、現代はケアの対象であったり、衰弱と病理のみにフォーカスされます。 また、青年期は競争社会への順応性に重きを置きます。 そして幼年期は早期教育や優秀な遺伝子、IQなどに意識が向けられることが多い。 それは、マトリックスという概念そのものを失った「意識の危機」の結果のような気がして ならないのです。 このことに50年くらい前、インドの哲人クリシュナムルティは気付いていました。 今、聴いても妙にリアルに感じられます。
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マトリックスとは?そして「意識の危機」
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