はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でございます。 僧侶の兄と共に「衛門三郎の里」さんを訪問。山頭火研究家の大山澄太先生の二十回忌 の法要と言うことで兄の読経に参列しました、数日遅れのお彼岸の趣でした。 大山澄太先生は、「衛門三郎の里」の市川館長さんの生前の良き友であり、山頭火研究の 第一人者でした、愛媛の著名な文化人で、自由律俳句の荻原 井泉水とともに山頭火を世に出した 当事者です。 俳句の町ならではの方です。市川館長は、大山翁の生前、最後の10年余り、薫陶を受けつつ、 お世話人を務め、数ある資料などを託されたためこの地で「大山澄太資料館」 を併設。毎年、命日の九月二十六日に法要を営んでいます。 市川館長から大山先生の様々なエピソードを聞かせていただきました。 山頭火から鉄鉢をゆずりうけたこと、句集の刊行を頼まれたこと、一草庵での暮らしを支えた ことなど・・・これらはすべて先生のことなのですね。 大山先生は九十六歳で、逝去されるまで句を詠み、山頭火研究に専念されたそうです。 最後の数年は右手が使えなくなり、左手で句を嗜んだそうです。 やわらかで優しい筆遣いが、伝わってきます。 先生の在りし日の姿を写真に残したのは、市川館長です。 山頭火と言い、大山澄太といい、サイケデリックな句ですね。 psychedelicとは、魂を開示するという意味です。 鉄鉢のなかにも 霰 山頭火 ならんで 竹の子 竹になりつつ 澄太
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お彼岸
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