『アイ・ウォント・トゥモロー』エンヤ
はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でございます。 黄金瞑想を続けながら、「魂の色彩」について考えています。オーラという風に言うと 「見える人、見えない人」とブラインドがかかってしまいますので「魂の色彩」という ことにしましょう。霊能力がある人、そうでない人というのはあまり意味のないことです。 わたしたちは、霊的世界に存在しているわけですからね。 さて、魂の色彩について 「『ゲーテは色彩は光と闇との出会いのなかに生じ、光の受苦と行為であるとした。同時代の象徴派詩人は色彩を象徴的に他の感覚と結びつけた。神智学者は古からのグノーシス的伝統を受け継ぎ、粗雑なものから微細なものへ至る色彩の段階を示した。これらに答えるようにカンディンスキーは色彩論を展開していく。それは必ずしも神智学やシュタイナーに沿ったものではなく、彼個人の色のついた深まり方、という云い方ができる独自のものである。色彩療法から色と味覚の関係に心動かされ、本の欄外へ「F(色彩)は味がする!」と書きこむところから、色彩が匂い、聴こえ、味がし、冷たく、暖かく、悲しく、心躍るような感情を呼びおこす、感覚のコレスポンダンス即ち「内面の響き」へと通じるところまではわずかの距離である。これは近年、シネステシア(知覚複合、共感覚)をどこまでも唯物的に脳の神経的作用として捉える方向とは一線を画するものである。 色彩は、魂に直接的な影響を与える手段である。色彩は鍵盤。目は槌。魂は多くの弦をもつピアノである。画家は、あれこれ の鍵盤をたたいて、合目的的に人間の魂を振動させる、手であ る。 ―『抽象芸術論』西田秀穂訳 』(『シュタイナー通信』遠藤真理 カンディンスキーをめぐる随想) 『色彩は、魂に直接的な影響を与える手段である。色彩は鍵盤。目は槌。魂は多くの弦をもつピアノである。画家は、あれこれ の鍵盤をたたいて、合目的的に人間の魂を振動させる、手であ る。』 これは、なかなかの洞察です。 弘法大師も同じことを言っていますね。 『六塵ことごとく文字なり 法身はこれ実相なり 五大にみな響あり 十界に言語を具す』 声字実相義 「文字と声」とは言葉と表現、表現と響き。 黄金瞑想とは「魂を色彩の海の中で泳がせる」といったエクササイズです。 深いプルーや緑や赤をイメージするのもいいかもしれません。 わたしたちは、「魂の色彩」を内面に響かせることで内なるものと外なるもののつながり を意識するのです。海の青、空の赤、大地の緑、魂の色彩。